Wild Rat Fireteam |
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第9話 晩秋。 大気はキンと張り詰めた冷たい厳しさを、日に日に強めていく。 新兵達はかじかむ手を懸命にあたためて、白い息を吐きながら、冷え切った鉄の武器を振りかざす。 そんな訓練の日々が続いた。 *** 初雪の季節まで、もう少しというある日の夕方。 その日は、「式典」のためにアルファルドの王城だけではなく、城下町の民までもがせわしない一日を送っていた。 アルファルド王国の王女、テセラ。 その日は、彼女の誕生日であった。 国王、王妃、王女の毎年の誕生日には城下町中が祝福の空気に包まれる。 今年とてそれは例外ではない。むしろ、今年は「特別」な歳でもあった。 テセラは今日、16歳を迎える。 それは彼女がこの国で成人と認められる、そんな特別な意味があった。 *** 王国の姫君が成人する。 そんな大切な日に、何も起きない訳がない。 王国軍は、城下町中に兵を配備し、敵国の襲撃にそなえていた。 だがそんな心配をまるであざ笑うかのように、式典は、何事もなく終わった。 城下町中に配備されていた兵は場内へと戻り、日が西へ沈む頃には、城下町は普段通りの光景へと戻っていった。 だが、城内はそうは行かなかった。 特別な来訪者がいたためだ。 *** アルファルド王城、一階エントランス付近。 あたたかな斜陽に照らされて、人だかりの中央にその2人はいた。 青年と少女。 2人とも、水色の髪に薄紫の瞳。 アルファルドでは極めて珍しいその色……そして、尖った耳、華やかで質の良い礼服。 彼らは、エルフの国――エレクシアの王子と王女であった。 隣国からの来訪者を護衛するべく、城内の兵士たちは緊張を緩めてはいなかった。 王子、王女いるところに兵士あり。 彼らの周囲には、常に数多くの兵士たちが囲っていた。 *** 「……あれじゃあ逆に目立っちゃうよね」 「まるで『どうぞ我々を襲って下さい』って言ってるようなものよねぇ」 サムエルとソフィーは、3階の通路から中庭を見下ろしていた。中庭の中央を、エレクシア御一行様がゆっくりと歩いている。 護衛の中には、顔を知っている自分たちの上官もいた。 警戒態勢のなか、忙しく動いているのは上級兵たちが主だ。 自分たちの様な下っ端中の下っ端は、王族の護衛など任せられるはずもない。 昼間は自分たちも城下町の一部区域を警護していたが、それも式典が行われていた昼間だけの話。 日が傾きかけるこの時間帯には既に仕事が終わり、暇を持て余していた。 王城全体が、お祭り騒ぎの様な、それでいてどこかピリピリしたような、そんな奇妙な空気を漂わせている。 普段は厳しい上官たちも、今日ばかりは王族の警護に気を取られていて自分たちの管理までは頭がまわっていない。 それは、「普段できないようなことも今日なら出来るかもしれない」という、背徳的な解放感すら漂わせていた。 エストはそんな状況をさっそく利用するべく、食堂へ足を運んでいる。 ソフィーとサムエルの見積もりでは、今頃食堂のご馳走をこっそりと持ち帰ってこちらに向かっている頃であるはずだった。 「おーい、サムエルー!ソフィー!!」 予想どおり。 いや、予想よりも少し早いか。 背後から、よく見知った姿が近づいてくる。 両手には会食の余りものだろうか、料理が無秩序に、そして豪快に盛り付けられた皿を抱えている。 エストは満面の笑みだ。すでに少しつまみ食いしたようで、口角がわずかに汚れている。 「見ろよコレ! 大収穫!」 「わあエスト、凄いねこれ! 運んでくるの大変だったんじゃない?」 「食べ物のことなら任せろ!」 サムエルとエストのやり取りをみて、ソフィーは喉元まで出かかったツッコミの語句を無理やり押し込めた。 こいつらに今さら何を言っても無駄だ。 入隊して、問題児2人組の凶行に巻き込まれてから、はやふた月。 すっかりソフィーはこの空気に慣れてしまった。 「ソフィーも食べるだろ?」 にっこりとした笑顔でエストは料理を勧めてくる。 正直食欲が湧くような盛り付け方では無かったが、実際小腹は空いていた。 「そうね、じゃあ少しいただくわ」 そういうと、皿の端に乗っていたパンをつまむ。 普段食べないような柔らかい食感と香ばしい小麦の香りを味わいつつ、ソフィーは再び中庭の方へ視線を落とした。 エレクシア王族はまだ中庭の端にいる。 ふと反対側をみると、そちらからはテセラが歩いてくるのが見えた。 脇には侍女と兵士が1人ずつ控えている。 テセラはエレクシアご一行と合流し、そのまま会話をし始めたようだ。 何と言っているかは流石に聞き取れない。 だが、表情は何とかここからでも見えた。 じっと中庭の方を食い入るように見つめるソフィーを見て、エストとサムエルも視線を追う。 隣からエストが身を乗り出して、中庭を見下ろす。 口には……おそらく鳥の足だろう、こんがり焼かれた肉を咥えている。 「はれかいんのふぁ?」 「食べるか喋るかどっちかにする。……テセラ様と、隣国の王子が話しているわ」 エストも視力は良いはずだ。おそらく彼にも見えているのだろう。 エレクシア王子とテセラの、笑顔で会話する表情が。 王子と王女。 お互いに、戦火に置かれた自国の未来を託された尊い存在。 だが、王族である以前に……2人は、若い男女でもあるのだ。 ソフィーの、女としての勘が、警鐘を鳴らしていた。 ……まずい。何がマズイか具体的には説明できないけれど、何かがマズイ。 そんな危機感を覚えている間に、王子とテセラは周囲から離れ、2人きりで何処かへ歩き始めた。 少し後ろから、護衛と思しき兵士が2名ついてくる。 「な、なんで2人で!?」 ソフィーは身を乗り出していた柵へいっそう体重をかける。 今にも転落しそうな勢いだったためか、慌てたエストとサムエルに制止された。 「ソフィー、落ち着けよ! 別に2人でいたっておかしくないだろ」 「落ち着いてる状況じゃないでしょ! なんでアンタはそんなに冷静なの!」 駄目だコイツ、分かってない。 ソフィーはいらだつ心でそう思うと、廊下を全力で駆けだした。 目指すは1階へつづく階段。 あの2人を何としても追わなければ。 驚く男性陣の方へくるりと振り返ると、 「2人を追うの! 早く!!」 とまくしたてた。 エストとサムエルはお互いの顔を見合わせ、そして、仕方なくソフィーの後を追いかけた。 *** 夕日はすっかり西の山脈へと顔をうずめ、東の空はもう薄暗くなり始めていた。 王城の東棟を1階へ降りて外に出ると、そこには武器倉庫がある。 普段使われない武器や攻城兵器をしまっておく場所のため、あまり人気の無い場所でもある。 そこにテセラと王子はいた。 王子が護衛の兵士の方を向き、手でなにかの仕草をした。 それと共に、それまで2人を囲んでいた近衛がさっと身を引く。 人払いの合図なのだろう。 テセラは王子の顔をみる。 その表情は、彼女が今まで見たことがない…真剣な眼差しだった。 自分の年齢を間違えて、間違えた本数の薔薇を送りつけてきたのはいつだった? あのときの王子と、今の彼が同一人物だとはとても思えない。 「僕が話したいことが何なのか、貴女なら想像がついているでしょう」 テセラは頷きもせず、ただ黙っていた。 「僕は貴方たちと年の取り方が違うが、この国で16歳を迎えることがどんな意味を持つのか…それくらいは心得ている」 16歳。それは、この国ではある種の境界だ。子供と大人の境界、禁酒と飲酒可の境界、そして…婚姻不可と可の境界。 今日、彼女はその境界を超えた。 今まで「未成年」という名の境界に守られていたが、もうそれはない。 「もともと、アルファルド王国とエレクシア王国は一つの巨大な国だった。それが内戦によって分裂してから数百年。ルグレスと相対している今、2つの国は昔のような強固な力を取り戻すべきだ」 分かっている。その先に紡ぎ出されるはずの言葉が何かも、もう分かりきっている。 「…今のは、僕ではなくて僕の父親の言葉なんだけれどね。しかし、君の父親もほぼ同意見なのだと聞いている」 彼女は肯定も否定もできず、目の前に相対する青年へ問うた。 「貴方は、どうお考えなの?」 王子はその問いに、微笑しながら否定した。 「僕が話すより先に、貴女の方から話すべきだろう」 「なぜ?」 「君の視線を見れば分かる」 水色の眼差しが、まっすぐにこちらを見る。 迷って、動揺していることは、とうに知られている。 「君には選択の権利がある。父の言葉を受け入れるも、別の道を歩むも、君の自由だ」 そういうと、目の前に手がすっと差し出された。 ずるい。 彼女は思った。 自分からは考えをハッキリとは述べず、動揺している私に完全に判断を委ねている。 なのに、手を差しのべるなんて。 口では優しく問うているのに、行動はまるで「この手を取ってくれ」と言っているようではないか。 テセラは王子から差し出された手を見つめ、そして、どうすることも出来ずにそのまま動けずにいた。 この手をとれば、自分の未来は決まってしまう。 エレクシア王子の妻として、自国と隣国の未来を両肩に担う存在となるのだ。 もし、この手を振り払ってしまえば、どうなる? ……色々な未来が、テセラの脳内を駆け巡った。 本来ならば、エストのことなど完全に忘れ、この手を取るべきなのだろう。 差し出されたこの手を握るだけでいいのだ。 その簡単で単純な動作が、 どうしても、 テセラにはできなかった。 「ごめんなさい……」 そう呟くような声で言うと、彼女は王子の元から駆け出した。 後ろから、自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。 その声はだんだんと遠ざかり、しまいには聞こえなくなった。 *** 武器倉庫裏。 投石器の裏にかがんで、この一部始終を見ている3人組がいた。 エスト達3人はしばらく、ことの運びが急展開過ぎて言葉を失っていた。 王子が言わんとすること。 それは、つまり、テセラへの求婚。 耳を疑うような内容の会話に、3人はどう反応していいのか分からなかった。 「…ど、どうするこれ」 唖然としつつも、エストが沈黙を破る。 テセラが走り去った方向は覚えている。 道のりさえ気を付ければ、王子に姿を見られないように彼女を追うことも可能だろう。 「決まってるよ」 「早く追いかけなさい」 ソフィーとサムエルはそういいながら、エストの背中を軽く叩く。 どうやら「立て」と言いたいらしい。 2人に煽られるがままにエストは立ち上がるが、ソフィーとサムエルはその場にかがんだままだ。 「……おい、もしかしてオレ1人で追えっていいたいのか?」 「当たり前でしょ」 ソフィーはけろりとした顔で頷いた。 「なんでだよ! オレとテセラに何があったか知ってるだろ!」 怒るエストの前で、サムエルがスッと立ち上がった。 「だからこそ、エストが追わなきゃいけないんだよ」 「サムエル……?」 「エスト。本当にこのままで良いの? もしかしたら、テセラ様はこのままエレクシアの王子様のところへ行っちゃうかもしれない」 エストはその言葉を聞いて一瞬狼狽したが、すぐに反論した。 「どうしたってテセラの勝手だろ。オレのすることじゃない」 「そうかもしれない。けれど、さっきのテセラ様の顔をエストも見たでしょ? ……あんな顔、テセラ様にさせたままで良いの?」 エストは先刻のテセラの顔を思い出す。 差しのべられた王子の手を見て、逡巡し、狼狽し、沈黙するテセラの顔が、脳内に蘇る。 「テセラ様は、3年前の結界のことでまだ自分自身を責めてる。全部自分が悪い。 だから、エストに会っちゃいけない……そう思ってる。 エストは、テセラ様がそんな悲しい気持ちを抱えたままでいいの?」 エストは、友人の言葉に何も言い返せない。 テセラが自分を責めていることなど、エストは百も承知だった。 だが、それをどうすることもできない。 下手に手を出せば、彼女を余計に傷つける。 だから、自分は身を引いたのだ。 「オレに何ができるんだよ……。今更すぎるだろ」 「そんなことないよ」 サムエルは首を横に振って、続ける。 「告白しろ、なんて僕は言わない。だけどね、自分自身を責めちゃってるテセラ様を少しでも救ってあげられるのは、エストだけなんだよ」 「救う、って……」 「ねえ、エストはあの人にどうなってほしい? 少しでも笑って、笑顔でいてほしい、って……そう思わない?」 そのとき、エストの脳内にテセラのあの表情が浮かんだ。 3年前。 城を逃げ出したテセラは、ずっと思い悩むような暗い顔を浮かべていた。 そのテセラが、最後の最後に、笑ったのだ。 自分に向けられた、あの柔和な笑顔を、エストは忘れられない。 ……テセラに、笑っていてほしい。 あの笑顔を、守れるような存在になりたい。 そう思った瞬間、エストは決心した。 「……サムエル、ソフィー。 少し帰り遅くなる」 そういうと、彼はテセラが走って行った方角へと身を向けて、走り出した。 ……嫌われたっていい。 ……これが最後の会話になったって構わない。 あの笑顔を、もう一度見るために。 エストは、テセラを追いかけて、走り出した。 |
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