Wild Rat Fireteam
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第7話




時間は3年前にさかのぼる。

1733年、初秋。

テセラが城を逃亡し、エスト少年とディーナ兵士の説得によって城へ戻ってから、数日後のある日。
その日は、とてもよく晴れていた。

この日もアルファルド城内の人間は忙しく動いていた。
数日前に受けた、敵軍の急襲による損壊箇所を復旧するためだ。

急襲はごく小規模のものだったので、損壊箇所もごくわずかなものであった。
負傷した兵士の手当て、魔力を消費した魔導師団の魔力回復、使用した矢の手配や武器の補修……
その他もろもろの手配に、城内の人間は誰もが追われていた。

使用した武器や、消耗した防具。軽傷を負った兵士。
失ったものはあるが、それらは、「時間をかければ元通りになる」ものばかりだった。

だから、これは大丈夫。いつものこと。普段通りにやっていれば、平気なはずだ。
城内の人間は、皆がそう思っていた。それは、テセラとて例外では無かった。

数日前、テセラは城を逃げ出していた。
長く伸ばしていた髪を自分で切り、侍女の服までちゃっかりと手配した。
彼女の中では、かなり大規模で、計画的な犯行だった。

だが、それは失敗に終わった。
逃亡先の城下町で出会った、エストと名乗る貧民街の少年。そして、自分の身を案じて街まで追いかけに来たディーナ少将。
この2人の説得に、テセラは応じたのだ。
もう、私は逃げない。
その決意を胸にし、テセラは王城に再び戻った。

「姫」としての役割を受け入れたテセラは、自ら率先して自分の仕事を見つけに行った。
時には戦闘で負傷した者に声をかけに行き、時には書類整理に追われていた大臣を手伝ったり。

城の誰もが忙しく駆け回っているのに、自分だけ手をこまねいている場合では無かった。

城内の皆の顔は、明るかった。
「数日経てば、また元通りですよ」

誰もが皆、そう言った。
そしてテセラも、その言葉を信じて疑わなかったのだ。

***

軍事棟 中庭。
1階の通路を通り、中庭から中央棟へ通じる扉を開けようとした時だった。
ドアノブにかけた手に、ぽつりと一滴の雨粒が落ちた。

……さっきまで晴れていたのに。

そう思って、テセラは訝しげに空を見上げる。
と、中庭の壁で丸く切り取られた曇天を、ゆっくりと巨大な何かが横切った。
その「何か」は、そのまま城の北の方へ飛び去って行く。

テセラは思わず硬直した。あの巨大な翼を、見間違うはずもない。
それは……間違いなく、敵軍のドラゴンだった。

***

奇襲の警報が発令されたのは、そのわずか10分後。
突然で、そして予想外の警報に城内が一斉に慌てふためいた。

けたたましく響く鐘の音。
足早に走り去る軍靴の音。
幾重にも重なる、ドラゴンの咆哮。
装備を整えることもままならず、ルグレス軍に蹂躙されていく仲間たちの断末魔。
中央棟に避難したテセラを襲ったのは、それらの「音」だった。

近衛たちに取り囲まれ、テセラは部屋で座って待機を命じられた。
それが、彼女には耐えられなかった。

ねえ、私はここにいていいの?

そう聞きたくても、周りの近衛は互いに絶えず通信機で連絡を取っており、取りつく島もなさそうな様子だった。

背を向けた窓から響いてくる、悲鳴、咆哮、炎の音。

……その音は、少しずつ幼い王女の精神を削り取っていく。

ダメだ。
このままではいけない。
私は、自分で出来ることをしなくちゃ……!

通信機で連絡を取る近衛を遮ってでも、テセラはこの状況下を脱出したかった。
声をかけようと椅子から立ち上がったと同時に、部屋のドアが開いた。

部屋を訪ねてきたのは、魔導師団のシエナ元帥だった。
薄茶色の自慢の長髪と、上質な布でできた真っ白な服は、すっかり乱れている。

普段は何事にもどうじない、あのシエナ元帥が。
動揺している。
事態の重さを、テセラは改めて感じ取る。

シエナは上がった息を整えると、言った。
「……テセラ姫を、お借りできるかしら」
傍の近衛が通信を切り、応答する。
「元帥、何用ですか」
「オフィーリアから召集がかかったわ。”結界”を使う」
「結界?」

何のことやら、と近衛は首をかしげる。
あなたは何も聞いていないのね、とシエナはぽつりとつぶやき、テセラの方へ向き直った。

「テセラ姫。”結界”の話は聞いていますね。あれは試作段階ですが、完成を待つ前につかわなければいけないみたいなの」

テセラは、シエナの言葉にゆっくりと頷いた。

”結界”。それは、緊急事態の際にアルファルド王城と城下町を守るための防御魔法。
シエナ達が率いる魔導師団が実験的に開発している……という話を、以前テセラは聞いたことがあった。

テセラの頷きに、シエナは少しだけ表情を緩める。
「テセラ様。あなたが成すべきこと……いえ、あなたでなければできないこと。わかるわね」
「……ええ」
テセラはそう答え、シエナの元へと歩み寄る。

シエナは頷きながらテセラの手を取った。

***

結界の発動陣は、魔導師団第3実験室にある。
実験室の北側には、大きな窓が据えられており、そこからは城下町を一望できる。

窓から差し込む淡い日の光。それは分厚い曇天に覆われ、部屋を薄暗く照らすだけだった。

発動陣の中央には、金の細工で縁どられた透明の球体が置かれていた。
一見すると水晶玉のように見えるそれは、鈍い陽光を反射し部屋に鎮座している。

この球体が、発動陣の要となる。
術者の魔力を最大限に引き出すのが、この球体の役割だ。
引き出された魔力は、発動陣に刻まれた呪文により王城を守る結界を生成する。

テセラは重い足取りを進めると、発動陣の中央へ行く。そして、球体の手前で立ち止まった。
手をゆっくりと球体の上に差しのべる。

「シエナ。……準備できたわ」

シエナ元帥はゆっくりと頷く。発動陣の一歩外側に立っている彼女は、そのまま目を閉じると詠唱を始めた。

発動陣が、淡く白色に光り出す。
徐々に強さを増すその光に、テセラもまた瞳を閉じた。

球体は薄青い光に包まれ、やがては実験室全体をまばゆく照らし始める。


WRF7

そして、一閃の後。

王城が、結界に包まれた。

***

結界は、テセラの魔力から作られている。
彼女の属性である「氷」から作られる結界は、王城と城下町の上空を覆い、敵軍の侵攻と飛竜の炎を防ぐ。

ゆえに、これ以上敵軍は入ってこられない。結界さえ張れてしまえば、あとは結界内に元々いる敵を掃討するのみ。

テセラとシエナはそう、思っていた。

***

結界の発動から十数分が経過した。

球体の中央で、テセラは発動時の姿勢を保ったままじっと耐えていた。

結界の生成には、術者の膨大な魔力が必要となる。
発動陣を起動させるだけのシエナとは違い、テセラの魔力は時間経過と共にどんどん消費されていく。

自身の魔力が少なくなるにつれ、彼女の身体は虚脱感とめまいに襲われていった。

……だが、テセラは最後まで耐えることにした。
ここで自分が倒れては、城を守れない。

発動陣の外側で、シエナはじっとテセラを見守る。
その時、シエナの持つ通信機から声がした。
「シエナ! 今どこにいるの?」
甲高い少女の声。オフィーリアだ。
彼女もまた、シエナと同じく魔導師団の元帥だ。

今はグレン元帥と共にキープへ向かっている筈、そうシエナは記憶していた。
シエナは通信機に向かって返答する。
「第3実験室よ。結界を発動させているわ」
「やっぱり……!」
同僚の声は、思った以上に焦燥している。

「シエナ。良く聞いて。今グレンたちと結界を確認したのだけれど……足りないの」

足りない?
何が?

「どういうこと?」
「範囲が、足りないのよ。結界の範囲が小さすぎて、王城と城下町の外周に近い部分が保護されていない!」
「えっ……!?」

シエナも驚嘆の声を漏らす。
足りない?

結界は、王城と城下町全域を保護できるような設定のはずだ。
それなのに、どうして範囲が小さすぎるのか?

混乱しかかる思考を巡らすシエナの向こうで、オフィーリアは続けた。
「テセラ様に、結界の範囲を調整するように言って。王城の南部はもう少し保護を。逆に、北側はすこし範囲に余裕があるわ。
できそう?」

「……でき、ると思うわ……けれど」

シエナが続けようとしたとき、声を潜めたオフィーリアの言葉が返ってくる。
「……魔力が足りてない。テセラ様がこの魔法を使うには、若すぎたのかも……」

シエナは、思わずテセラを横目で見た。

12歳の王女は、城を守らんとふらつく体で懸命に戦っている。
未成熟のテセラの身体には、この魔法は時期尚早だったのか……?

シエナは言葉を失う。
そんな彼女の前で、テセラはゆっくりと振り返った。

すでに表情からは余裕が消え去り、額には冷や汗が流れている。
「シエナ……いいの、全部、聞こえてた」
「テセラ、さま」

「オフィーリア。言われたとおりに調整、して、みたつもり……どう?」

シエナが沈黙している間に、テセラは結界の範囲を調整していたようだ。
通信機の向こう側で衣擦れと足音がしたのち、返答がきた。

「……ダメです。これでも足りない……!
もう範囲はギリギリなのに、城下町がまださらされてる……!」

シエナは、通信機を固く握りしめて話しかける。
「オフィーリア、誰か人を呼べない? テセラ様の代わりに結界を発動できる人がいれば」
「駄目よ……。誰かに代わってもらうにしても、一度発動を解かなきゃいけない。その隙を狙って、敵軍が一気に攻め込んでくる。
一度発動した結界は、最後までその人にやってもらわないと意味が無いわ」

「だけど」
「シエナ、現実を見なさい!」

オフィーリアの怒声が、シエナを一喝した。

シエナは、完全に沈黙してしまった。
もう、自分に出来ることは無い。

「テセラ様。……申し上げにくいのですが……。結界で保護される地域に、優先度をつけるしかありません」
「ゆう、せんど……?」
「人口密度の低い地域から、結界の保護を解除してください。そうすれば、多くの人命は守られます。発動時間も長く保てるはず」

「えっ……?」

保護を解除する。
それは、解除された地域の人達を見殺しにするのと同じだ。

優先度?
人の命に優劣をつけろというのか?

「……だめ、オフィーリア……。そんなの、できるわけない……!」
「ですが、テセラさま」
「私に、人の優先度なんてつける資格ない!」

「……じゃあ、このままあなたの魔力が尽きて、王城も城下町も全滅する道を選ぶんですか?」

「……。」

「あなたの魔力に関して、目測を誤った。その結果、結界を不十分な状態で発動させてしまった。それは、私達魔導師団の非です。
……なにも、責任をあなた一人で負えとは言ってない。私達も、結界の保護を解除した地域の損失に関しては責任を負います。
……だから、お願いです。少しでも多くの人が助かる道を、考えて」

テセラは愕然とし、膝をついた。

少しでも多くの人を?
そんなの、綺麗ごとじゃないか。

……けれど、自分の力では、その綺麗ごとにすがるしか、道は無い。

……父を、義母を、臣下を、近衛たちを、
見殺しにするなんて、できない。

テセラは、絞り出すような声でオフィーリアに問う。
「……オフィーリア……。人口密度が低い場所は、何処?」

短い沈黙の後、オフィーリアの声が返ってきた。
「……南東部の農耕地と、北西部の貧民街です」

貧民街。

その単語がテセラの耳に入った瞬間、彼女の脳裏にはあの少年の姿が浮かんだ。
貧民街の保護を解除する。それは、彼を見殺しにするのと同義だ。

彼女は思考し、逡巡し……そして、諦めを付けた。
「……その2か所を、解除すればいいのね……」

***

範囲が縮小された結界は、その後1時間にわたってアルファルド王城と城下町の一部を保護し続けた。

魔力を使い果たしたテセラは数日間昏倒し、魔導師団の処置を受けて回復した。

魔力が戻ったテセラが目にした光景は、
農耕地と貧民街が黒い焦土と化した城下町の風景だった。


***


結界の発動と、敵軍急襲の悲劇の日。あの日から、3年が経った。

結界の保護区域から外れ、敵軍の猛攻を直撃した貧民街。その生き残りの少年は、今、王国軍の制服を着て王女の隣に立っている。

エストは、テセラが涙ながらに話す間、ずっと黙って話を聞いていた。
「黙る」というより、「言葉を失って」の方が近いかもしれない。

3年前の悲劇についてテセラが話し終えてもなお、エストは何も言いだせずにいた。
絶句している彼の隣で、王女は続けた。

「私はあの日、スラムの人たちを見殺しにした。エストも、あの日私が殺してしまった……そう思っていた。
あなたの家を、家族を……私は奪ってしまったも同然なの……。
それなのに、私があなたの隣で笑っている資格なんて、あっていいはずがない」

「テセラ、だけど」

「ごめんなさい」

そういうと、テセラはバルコニーから背を向ける。

「さよなら」

そう言い残して、彼女は立ち去って行ってしまった。






 
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