Weeping Clown
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U- 2


 何度切りつけられただろうか。痛みのせいで、どこに何箇所傷が出来ているかもわからない。
 出血で朦朧とする意識の中、レイスはまだクラウンを見つめていた。

 過去に何人も人を殺してきた。しかし、どれも一撃で体を切断してきた。 だから、自分も一撃で死ぬのだろうと思っていた。しかしどうやら、目の前の魔物は簡単に自分を殺してはくれないらしい。

 脚に力が入らなくなってきた。ずるずると座り込む。 民家の壁にもたれかかり、そのままうなだれた。
 おそらくこれで終わりだろう。

 もし、この先リオンとライラがクラウンを倒すことが出来たら…… 彼女たちは、どういう未来を歩くのだろう。 ライラは復讐を終えて、国軍を抜けるだろうか。リオンは、一人で扉の麓へ向かうだろうか。
 彼女たちのどちらも、過去に深い傷を抱えている。
 見えない傷は、痕を残さずに治癒する事なんてきっとない。 でも、せめて化膿することの無いように過ぎていってほしい。
 自分は、それが出来なかったから。

 視界の端に、青い光が見える。

――終わりだ――

 そう思ったとき、遠くから聞こえてきた足音が目の前で止まった。

 顔をあげる。
 そこには、二つ結びの金髪の少女の背。
「リオン……?」
盾を持っている。クラウンの一撃をはじき返したあと、彼女はこちらを振り返った。 その表情は憤りを隠し切れずにいるようだ。目も赤く腫れている。 しばらく身を震わせたまま立っていた彼女は、いきなり叫んだ。
「ばかっ!」
「えっ?」
「鎧と剣置いたままにしてたから、まさかと思ったら……。やっぱりクラウンといた! まさかホントに……」

 声に涙が混じる。
「ホントに……死のうとするなんて、バカだよ……」
言葉に嗚咽が混じり、彼女はそこで泣き崩れた。
 良く見ると、リオンの足元には剣もある。まさか、今のクラウンと戦うつもりで持ってきたのか。
「リオン」
まだ残っている体力で、彼女を諭す。 ここで説得に失敗すれば、クラウンの攻撃に巻き込まれて彼女も死なせてしまう。それだけは避けたかった。
「今のクラウンには攻撃が通じないんです」
「知ってる」
「だから、今のクラウンの変身を解くには私が死ぬ必要が」
乾いた音を立てて、レイスの左頬に痛みが広がる。

 頬を押さえてリオンを見る。まさかこの歳で平手打ちをくらうとは。 彼女はポロポロ涙をこぼしながら体を震わす。

「なんでそういうこと言うの……。レイスはいつもそうだよ。自分ばっか危険な方に行ってさ」
リオンは、両手で必死に涙を拭う。
「レイスがホントは優しい人だって、知ってる。だからあの時も、自分のあとを追わないように”殺しとくべきだった”とか、 わざと酷いこと言ったんでしょ? 自分が犠牲になることしか考えてない!」
叱られる事は承知の上だ。こうすることが、リオンとライラを助ける最善の方法に思えたから。

 リオンは続ける。
「誰も死なない方法、あるよ。レイスばかりに傷は負わせない」
「誰も犠牲が出ない方法、なんて」
「あるよ!クラウンは”怖い”ものに変化するんでしょ?なら、昔の自分を怖いものじゃなくしちゃえばいいじゃない」
そんなこと、理想論だ。レイスは思う。
 十年の間必死に逃げてきた過去の自分に、いまさら向き合って克服しろというのか。

 リオンは幼い頃火事に遭った。そして、そのトラウマは克服している。 だけど、偶発的な事故のトラウマと必然的な自己のトラウマは、違うのだ。
 人を無差別に殺してきた昔の自分。自己顕示欲と嫉妬感情にまみれた自分。 今の自分は違う。人を守るために剣を握って、人間関係に嫉妬を抱かないように一線を画して。

 逃げ続けてきたものに、真正面から立ち向かうのは、怖い。

 レイスは視線を、リオンの後ろのクラウンに戻す。 少年は、長い話に飽きたように宙を浮いている。
「お話、もう終わった?」

 そして、また左手が青く光りだす――

「リオン、危ない!」
彼女は振り返り、攻撃を盾で防ぐ。 水流は盾で拡散し、あたりに水しぶきが飛んだ。
「攻撃は私が守るから。今度は……私が守るから。レイスが私達のこと、守ろうとしてくれたの、分かってるから」
彼女はこちらを振り返る。その顔は、笑顔だった。
彼女の持ち前の笑顔を、普段と変わらない笑顔を、こちらに向けている。

 レイスには分からなかった。
 あんなに酷いことを言って、リオンたちを突き放したのに。 過去に何人も、いくつもの町や村を破壊したのに。 どうして自分を守ってくれるのか。
 理由は分からない。しかし、彼女が自分を信頼してくれている事は事実だ。

 その信頼には、応えたいと思った。自分のことを信じて、守ろうとしてくれる彼女のを事を、見過ごすなんて出来ない。
 ……出来るだろうか。自分と向き合うという、十年がかりでも出来なかったことを、今、出来るだろうか。

 レイスは立ち上がる。
 そして、クラウンの方へ歩み寄る。今度は身を呈した自己犠牲のためではなく、戦うために。 一歩、また一歩と距離が縮まっていく。
 幼い自分は、不可解な顔でこちらを見てくる。  無理もない。ずっと、過去の自分を突き放して逃げてきたのだから。
「こうして向き合ったこと、いままでありませんでしたね」
「……何、言ってるんだ……」

 幼い自分は、小さい。背丈は140センチくらいだろう。今の自分と30センチ以上も違うのか。頭一つ分以上違うではないか。
 純粋無垢な瞳。嫉妬と自己顕示以外、何の色にも染まっていなかった幼い瞳を、レイスは見つめる。
「あのときの私は、強かったですね」
今の自分は、弱い。体を得たせいで、病気と怪我の脅威にさらされるようになった。それに、寿命という避けようのないことにも。 小さいときの自分と相対しているだけなのに、こんなにも自分の心は震え上がってしまっている。
 しかし、体を得て、道徳を得て、心を得たおかげで……今の自分にはできることがある。

 レイスはおもむろに左手を伸ばす。 指先はかすかに震えている。彼は深呼吸して、心を落ち着かせる。 そして、微笑む。他者に向ける優しさを、今度は自分にも向けなければ。

 レイスは、幼い自分の頬へ、そっと触れた。
 貫通はしない。レイスの指には、そして過去の自分の頬には、たしかに肌のぬくもりが伝わった。

「ずっと……こうしてあげられませんでしたね」
幼い自分は、人を殺す中で何を欲していたのか。それは自分自身が一番良く知っていた。 誰かの温もりが欲しかった。たったそれだけのことだったのに。

 クラウンは、幼い自分は、頬を撫でられながら静かに涙をこぼす。
「さわれる……」

 涙の一滴が頬を伝い、零れ落ちたとき。



 クラウンと周りの景色は、静かに透けて消えた。







 
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