Weeping Clown |
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U-1 町を歩く。夜の帳が下り、家から差す明かりは無く、唯一の頼りの星空も時折雲に隠れてしまう。 しん、とした町の中を、レイスは歩く。 鎧の下に着るための服は、丈夫で厚い。寒さはそれほど感じず、鎧を着慣れている身としてはかえって身軽すぎて落ち着かない。 鎧も、剣もない。 戦うことを完全に放棄した彼は、歩きながら過去の自分の記憶を思い返していた。 * 何年前に生まれたか。そんなことすら、レイスは覚えていない。 ただ、アルファルド王国の領地が内戦により二分されたのが、約450年前。 その時の戦の様子はかすかに覚えているから、少なくともそれより前だ。 どうして生まれたのか。そんなことすら、レイスは知らない。 ただ、生まれたとき魔導師のような服装をした男女が周囲に何人もいたことを覚えている。 棚と机の上には魔道書。床には魔方陣。 おおかた、”魔力だけで人間をつくれるのか”実験をしてみた。そんなところではないだろうか。 自分はその”実験の成果”だ。 人間を人工的に作りたかったのなら、実験は完全に失敗だ。 なぜなら、生まれてきたレイスの姿を認識できた人は、誰一人としていなかったのだから。 生まれてきたとき、レイスには知能があった。言葉を使い、物を考え、感情を出す。それを形容するのに一番近い言葉は、”魂”だろう。 彼にはそれがあった。だけど、彼の姿が見えたものはいない。声を出しても、聞こえた人はいない。 物を触ることも出来ない。触ろうとすると、彼の手は物を通り抜けてしまうのだ。 彼には、魂はあったが肉体が無かった。 彼は、生まれながらにしてゴーストとなんら変わりない状態で、孤独に存在することを余儀なくされた。 * 生まれてからずっと、苦痛でしかなかった。 誰も自分ことを見てくれない。 大声を張り上げて叫んでも、誰にも聞こえない。 物をつかんで、壊して、自分のことを見てほしかった。でも、それも叶わない。 自分の存在を、自分以外に誰一人分かってくれなかった。 だれも自分に気付かない。 周りの人間が羨ましかった。お互いの目を見つめ、声で会話して、手で触れる。 嬉しそうに会話する人たちを見た。頭をなでられる子どもを見た。キスをして愛を受け取りあう恋人たちを見た。 悲しいときに、一緒に涙を流す人を見た。 ――僕は、それが出来ない。 羨ましかった。誰かの声が欲しい。撫でてくれる誰かの手が欲しい。愛情を伝えるふれあいが欲しい。一緒に流れる、誰かの涙が欲しい。 ――見てるだけなんて、もう飽き飽きだ。僕は、僕には……。 絵画の世界を見ているかのように、彼は世界と交流することを許されなかった。 そして、ただ見ていることしか出来ない日々が延々と続いたのだ。 ある日を境に、羨望は嫉妬に変わった。 人間が妬ましく思えるようになると、彼らのコミュニケーションを邪魔してやりたくなった。 彼らの間に割って入りたい、彼らを突き飛ばしたい、彼らを……。 その思考が彼を支配するようになった。 そんなある日、机の上に置かれた一冊の本が目に留まった。 開きっぱなしのその本は、右のページに魔法陣が書かれている。魔道書のようだ。 とある攻撃魔法の呪文について解説したページだったが、内容は簡単ですぐに理解できた。 そして、近くにいる人に試しにその魔法を掛けてみた。 呪文は簡単に成功した。 手の平から生まれた水流は、目の前の人間を縦に二等分にした。 ごとん。 半身は床に落ちる。 その物体を見て、恐怖も驚愕も、感じなかった。 唯一感じたのは、達成感。それだけだ。 ――僕の魔法で、人が半分に割れた。僕の、僕の魔法で! 言いようのない高揚感が湧き上がってくる。 平行線上にいた世界が。一切干渉を許されなかった、世界が。 立ち入ることの出来なかった”世界”への鍵を、ついに見つけた。 ――魔法を使えば、何でもできる。切る事も、壊すことも、殺す事だってできるのだから。 やがて、人の惨殺体を見た他の人間が悲鳴を上げた。その悲鳴を聞いて、人が集まってくる。 阿鼻叫喚な状況とは逆に、楽しい気持ちが次から次にこみ上げて抑えきれない。 一人の人間を殺したことで、多くの人間が集まった。そのことが、より一層愉快にさせる。 一つの生命に干渉すれば、次々に他の人間の感情にも干渉ができるのだ。 一歩、足を踏み入れた”世界”。どうせなら足で地面を荒らしまわって、手で物を壊しまくって、自分がいる痕跡を残そう。 ――僕の姿は、誰にも見えない。だけど、ほら、魔法を使って壊せば…… 「僕はここにいるって証明になるでしょう?」 穏やかな微笑みを浮かべ、純粋な少年はその場の人間全員を殺した。 そして、その時の快楽と自己存在の証明を他の場所でも得るために、世界を歩き回る旅に出た。 町を見つけては壊し、殺し、自分で”世界”に傷跡をつける。 一人だけ殺さずに生かしておくのは、『悪魔の仕業に違いない』と証言する生き証人を残すため。 生存者は他の町に流れ着き、そこで恐怖におびえながら『悪魔』の存在を他の人に言って回るだろう。 この繰り返しを何年も、何十年も、何百年も行い続け、体を持たないゴーストの少年は自己の存在を他者に知らしめることに成功した。 * レイスは歩く。 生まれたばかりの自分には無かった”体”で、両足で、歩く。 十年前――この町でまだ殺戮を繰り返していた自分を、”あの人”は変えてくれた。 ”あの人”から体を得て、道徳を得て、人の痛みが分かる心を得た。 ”あの人”がいたから自分は変われた。 そして、過去の自分が許せなくなった。 人を殺してはいけない。当たり前のことを学習できた結果、レイスは過去の自分を責めた。 そして、もう二度とあんなことはするまいと固く誓い、自分自身を変える努力をした。 幼若な欲求におぼれていた過去の自分と、今の自分は違う。 レイスはそう言い聞かせるように思考をめぐらせ、歩く。 そして、裏路地の一角にたたずんでいる少年を見つけた。 「……探しましたよ」 レイスの声に、少年は微笑んだ。 目の前で浮かぶ”過去の自分”の化身は、あいかわらず無彩色の色彩でこちらを見ている。 少年は、言う。 「一人で来たんだ。じゃあ、何も隠さずお話できるね」 「あなたと話をするために来たのではないのですが」 少年は、屈託の無い笑顔で笑う。 「そうだよね。君は僕が嫌いだもの。君は僕が嫌いで、怖くて、憎いから。 僕の面影なんて残らないくらい、この十年で君は変わった。髪形も口調も性格も変えて、大人っぽくなったよね」 「過去の自分に評価されたくはありません」 「で?どうして、鎧も剣もないの? 戦う気、起きなくなっちゃった?」 レイスは沈黙した。 戦う気など、始めからない。 十年前……ライラの故郷であるこの町で”あの人”に出会ってから、自分は変わった。 いや、変わろうとした。 それまでの自分が嫌でたまらなくなった。だからこそ、自分自身から逃げるようにこの十年を生きてきた。 影のように自分の後ろを付きまとう過去の自分を振り払って、”正しい道”をひた走ってきた、つもりだ。 十年の間ずっと逃げてきたのに、こんなところで過去の自分と対峙するなんて、出来るはずも無かった。 戦って自分の心が折れるくらいなら……いっそのこと何も傷つかずに死ぬほうがマシだ。 「クラウン」 レイスは、討伐すべき魔物”クラウン”の名を呼ぶ。 クラウンは、外敵の記憶を読み取り”一番恐れるもの”に変化する魔物。 外敵が死ねば、変化が解けるのはユーリの件ですでに証明されている。 ならば、攻撃の効かない対象に変化してしまった今のクラウンを、倒す道はひとつ。 レイスは微笑む。最期くらいは、過去の自分を哂ってやりたい。 「死刑囚に武器防具は不要でしょう?」 ――私が死んだ後。クラウンは、リオンとライラのどちらの記憶を読み取るのだろう。 願わくば、二人が”一番恐れるもの”に打ち勝てることを信じて。 レイスは、魔物へ歩み寄る。 |
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