Weeping Clown
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T-4


 この町に連れてこられてから、二回目の夜が来た。 夜を明かすのは、昨日と同じ宿。部屋も同じである。 リオンとライラは一階の厨房で夕食の支度を、レイスは二階の部屋にいる。
「ねえ、ライラさん」
スープをかき回しながら、リオンはライラに訊く。
「どした?やっぱ味濃すぎかな、それ」
「ううん、料理の話じゃなくて」

 きょとんとした顔で、ライラは隣のリオンを見つめる。リオンは鍋の中のスープを、いや、どこともいえない一点を見つめている。
「お昼の闘いのときから、ずっと引っかかってることがあるんです」
「引っかかってること?」
「ライラさん、あの男の子のこと、ホントに覚えてないんですよね」
ライラは腕組みして、思い出そうとする。
「うーん……うん。やっぱ思い出せないわ」
「覚えてないんじゃなくて、本当にライラさんが会ったことのない人だったんじゃないかなって思って」
「まあ、私もそれを思ったのよね。でもそうすると、クラウンは私の記憶を読み取ってるのと矛盾するじゃない?」

 リオンは、ライラが投げかけた疑問にしばし答えなかった。ためらっていたからだ。

 これから自分が話す事は、ただの憶測だ。しかもそれは、当たっていても外れていても今後の三人の関係に傷を残す。 もしかしたら、その傷がずっと残るかもしれないのだ。
 でも、この並行線上を行く状況を打開するにはこれしかないように思えた。

 リオンは、口を開く。
「クラウンは、ライラさんの記憶を読み取ってるんじゃないんだと思います」
ライラはしばらく言葉を失った。
「え……え、いや待って! じゃあリオンちゃんの記憶でも読んでるっていうの?」
リオンはもちろん、否定する。
「クラウンが今変身してるグレーの男の子って、村や町の人たちを殺してる犯人ですよね?」
「そうね」
「犯人を見た人は今まで一人もいない、って昨日レイスとライラさんが話してくれました。 だとすると、クラウンが犯人に変身できるのは、クラウンが”犯人の”記憶を読み取ったときだけだ……って、さっき考えたんです」
「まあ誰も犯人を見てないってことは、犯人の記憶がそもそも誰にもないわけだし。考えてみればそうね」

 口に手を当て、考えながらライラは話しているようだった。しかし彼女の表情が段々と青ざめていくのを、リオンは見ていた。
 ライラの中でも、考えが繋がったようだった。
 クラウンは、リオンとライラ以外の人間の記憶を読んでいる。そしてその人間は、幾つもの命を奪った犯人だ。

 ライラの声は、震えていた。
「つまり何よ、町や村の人間を300年以上の間殺して回った犯人は、」

「何の話をしているのですか?」
 聞きなれた穏やかな声。
 声の方向にリオンとライラが振り向くと、階段を降りるレイスの姿が見えた。 レイスは、普段と変わらない微笑を向ける。あの少年と、同じ笑みを。
 リオンは無意識に、左手を自身の右手首にかける。そこには、腕輪に変形させた杖がある。 レイスはその間にも、階段を降りきってこちらの方へ向かってくる。 いつもなら。いつもなら、頼るべき姿に。安心する微笑に、警戒している自分がいる。
「攻撃の、仕方がね」
震える声で、リオンは言う。
「攻撃の仕方が、まったく同じだったの。水で切り裂く方法が」
レイスは口を開かない。
「レイス。クラウンが読み取ってるのは、レイスの記憶だよね」
彼は黙ったまま。
「レイス。全部知ってたの?自分が犯人で、あの少年は子どもの頃の自分だって。全部知ってたのに話さなかったの?」
ありえない。レイスがそんなことするはずがない。しかし、こうでないと辻褄が合わない。

 水を打ったように静かな空気が、積もり始める。 重苦しい、これまでにない張り詰めた沈黙だった。

「……私と彼、面影は残っていましたか?」
その一言は、リオンとライラの意表をついた言葉だった。
 返答に詰まる二人を見て、彼は続ける。
「髪型も口調も違うから、うまく誤魔化したまま彼を倒せるかと思っていたんですが……。 参りましたよ、何の攻撃も通じないんですから」

「彼の姿が、リオンたちにも見えてしまったのが最大の誤算でしたね。 おそらく、あのクラウンは変身した対象の性質を微妙に変えることが出来るようです」

「もしクラウンが過去の私そのままに変化してしまったら、私もリオンもライラも彼の姿を捉える事はできないはずですから」

 ――何を、言っているの?

 リオンは、レイスが目の前で発するセリフを理解できずにいた。 言葉が、頭の中で捉えることのできないまま零れ落ちていく。
 丁度、手の平で汲んだ水のように。
「ライラが、十年前私が起こした事件の生き残りって知ったときは流石に驚きましたよ」

「やっぱり、あの時一人残らず殺しておくべきだった」

 その瞬間、リオンの隣でスープの鍋が飛んだ。 火にかけられていた鍋のスープは、レイスの手前の床にぶちまけられる。
 リオンが驚いて横を見ると、鍋を倒したライラが獣の様な視線でレイスを睨みつけていた。
「何よ、なんなの!何でそんなこと……家族を、友達を何で殺したの!」
「理由を知って、どうするというのですか?」
「どうにもなんないわよ!知ってるわそんなこと!だけど、あたしが何のためにこの十年生きてきたと思ってるのよ!」
ライラは、吠えるように言葉をぶつける。

「犯人が憎くて、悔しくてたまらなくて、だから犯人を捜して殺すために魔導師団に入ったのに! 魔法の研究もずっと続けて……。 なのに何で!? なんで同じ国軍の、あんたがそんなこと! 国軍に入ったのは、殺人衝動に理由付けするため? なんなのよ!」
ライラは激昂し、すべてを吐き出し終わった。それでも、レイスを刺す眼差しの鋭さは変わらない。

 味方だと思っていた人間が、崩れるように得体の知れない敵になってしまったこの状況に、リオンは恐怖した。
 信じていたものに裏切られた。既知のものが未知になってしまった。
 コインがすべて裏返しになったように、”知っている”ことが”分からない”ものへ変わってゆく。

 ――これ以上、彼の何を信じればいいの?

 レイスは微笑み、そして言った。
「これ以上話すべき事はないでしょう。リオンの疑問も無事に解決したことですし」
そして、踵を返し階段の方へ向かう。 呆然としたままの二人の方を振り返り、彼は別れ際に言った。
「これから、クラウンとの闘いは二対一ですね。どうか、ご武運を」

 それは、レイスがもう永遠にこちらの味方にならないことの宣告だった。
 絶望の中に、彼の足音だけが遠く響いた。


                      *


 厨房の火を消して、もう一時間にもなる。 リオンとライラは、互いに何も言わず座り込んでいた。

 あの後、レイスがどうしたかは不明だった。
 厨房と宿の玄関は、別方向にある。足音に気がつかなければ、人の出入りは厨房からは分からない。 まだ部屋にいるかもしれないし、もしかしたら、すでに荷物を持って宿を出た可能性もある。
 しかし、今の彼と会う気力は二人には残っていなかった。

 クラウンが変身した少年は、子どもの頃のレイスだった。 そして、彼は村や町を襲い人を殺し続けていた。 その事実だけで、二人を打ちのめすのには十分だった。

 リオンの中で、去り際に彼が残した言葉が突き刺さる。
”これから、クラウンとの闘いは二対一ですね。どうか、ご武運を”
レイスが味方を去った、と受け取れる宣告。

 ――クラウンと戦う気力なんて、もう無いよ――

 抱えた膝に顔をうずめると、火照った目頭に涙がまたこみ上げてくる。 いつもは、どんな状況でもレイスがいたから前向きになれた。
 だけど今は彼はいない。
 第一、倒す方法がなくなってしまったクラウンを二人だけでどうやって倒せというのか。 ”ご武運を”なんて、皮肉にしか思えない。 ユーリが亡くなって、クラウンが記憶を読み取る対象を変えてから、キズ一つ与えられなかったではないか。
 ユーリが、死んでから……。

 リオンは、ハッと顔を上げる。そして、驚くライラの方は見向きもせずに部屋へ走り出した。
 レイスの部屋のドアを開ける。中は無人だ。 部屋の中央に、あるものを見て、リオンは確信した。
「やっぱり……」

 そこには、鞘に収められた剣と、鎧一式。
 戦う者の命を守るものが、そこに置き去りにされていた。

 リオンは迷わずに剣を取り、そして、走り出す。 ドアを開け、宿を出て、町の大通りの方へ。

 レイスをもう一度信じるため。



 
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