Weeping Clown
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T-1

 この王国には、「魔物」が存在する。

 それは人間や動物を攻撃し、時に村や町が壊滅するほどの危害を与える。  魔物には生命が無い。外敵からの攻撃を受けないかぎり何十年も何百年も存在しうる。
 ゆえに魔物は、国の繁栄を妨げる大きな要因であった。 王国の人口が増加し、町や村の規模が大きくなると、自警団や軍が魔物の討伐隊の編成と派遣を始めた。 結果として大多数の魔物が姿を消した。王国の主要な敵はいつしか、「魔物」から戦争相手の「敵国」に変わった。 しかし今でも、魔物の数がゼロになった事はない。それは同時に、討伐隊の派遣がゼロになることは無いことを意味していた。

 そして、4名の男女で編成された討伐隊が今、一体の魔物と対峙していた。

                            *


 人の気配が無い廃村の一角。重苦しい曇天の下で、住居としての役目を終えた家々が並ぶ。 もう何年も前に住民が消えたこの村は、人の代わりに草木が住居を占領した。雑草と低木が鬱蒼と建物を取り囲んでいる。
 そんな廃村の片隅で、レイスとリオンは目の前の光景を呆れ半分で見守っていた。
 二人の前には、二人の弓兵が互いに向かい合って立っている。鎧で武装した女性兵士、軽装備を纏った若い男性兵士だ。
 女性にしてはとても短く切られた茶髪を揺らし、女性兵士は目の前の若い男性弓兵へ怒りの眼差しを向けていた。
「貴様!上官であるこの私に矢を向けるのか!」
叱られている男は、ユーリという。彼は反射的にびくりとのけ反り、つがえたはずの矢を弓から外した。
「ディーナ少将、だからこれは違うんですってば!」
「お前は私の部下失格だ。覚えておけ!貴様の体は、明日にでも矢の的にしてやる!」
「お願いですそれだけは勘弁してください!」
ユーリは震える声をなんとか絞り出し、上官へひたすらに、ただひたすらに詫びる。

 弓兵どうしの喧嘩――正確には一方的な叱責だが――を、どう収拾つけるべきか。レイスとリオンは考えていた。 つい先刻まで意気揚々と弓矢を構えていた兵士ユーリが、たかが怒声でこんなにも縮み上がるとは思わなかった。
「ユーリさん……まさかディーナ将軍が一番怖いんですか?」
リオンはユーリにとりあえず話しかけてみた。ユーリはリオンの方へ振り返る。
「ああ怖ぇよ……少将に睨まれると、オレあまりに怖くて動けなくなるんだ。士官時代のトラウマが色々と蘇ってさあ」
「お気持ちはお察しします……。私も昔は散々しごかれましたから」
レイスも同意した。

 ディーナ将軍が怒った顔はそんなに怖いのかなぁ、とリオンは思う。 リオンがディーナ将軍と初めて会ったのは、つい数日前のことだ。 人に厳しく、自分にも厳しくあたる印象のある人だったが、そこまで怒鳴り声を張り上げる印象はリオンの中になかった。

 しかし、たとえどんなに怖くても今はそれと向き合わなくてはならない。
「ユーリさん、レイス!今はライラさんが戻ってくるまで頑張りましょ!」
リオンはユーリを鼓舞する。そして、言葉をつづけた。
「ここにいるディーナ将軍は、ニセモノ――魔物なんですから!」


                      *


 魔物の中には、変わった攻撃方法をするものがいる。「クラウン」と呼ばれる魔物もそのうちのひとつ。 クラウンは本来小さくて白い球体の姿をしている。 しかし外敵から身を守るために、敵の心を読み、一番「怖い」物そのものに変化し、攻撃をする。 性質や記憶までも、変化する対象と完全に一致する。 まるで役を演じる道化師のようなその性質から、いつしか魔物にはクラウンという名がついた。

 ユーリが一番怖いと感じるものは、ディーナ中将。それにクラウンは変化している。 リオン、レイス、ユーリ、ライラの4人がこの魔物を倒すための討伐隊として廃村に派遣された。 しかし、敵の変身能力に踊らされてしまっているのが現状だ。

 リオンは杖を両手で握りなおす。ユーリの狼狽っぷりを見るに、ここはレイスとの二人で切り抜けることも覚悟しなければいけない。 討伐隊の残り一人であるライラは、他に敵がいないか隣の居住区まで確認に行っている。いつ頃戻ってくるかは分からない。
 リオンの手には、杖がある。その杖は不思議なことに、彼女の思いどおりの形をとることができる。 その杖の力でなんとか、ディーナ将軍の矢を防がなければいけない。 杖の形を変え、盾に……と思った瞬間、ディーナの姿をしたクラウンが矢を番えた。
 ディーナ将軍は、昔ロングボウ部隊の隊長だったとレイスから聞いたことがある。
長く繰り返してきた戦闘の中で、腕力は大の男にも引けをとらず、射撃の精度はどの弓兵にも負けなかったという。 彼女の矢を避けるのは至難の業だ。

 パン、と乾いた音と共に矢が飛ぶ。しかし矢が到達するよりも早く、リオンは杖を盾に変えて矢を弾いた。 将軍の舌打ちと共に、二発目・三発目が飛ぶ。しかし、この盾は数発のロングボウで壊れるほど脆弱ではない。
 構えた盾の横からわずかに顔を出し、敵を覗く。ディーナ将軍の姿かたちを借りた魔物は、リオンとは別方向に矢を番えていた。 誰に狙いを定めたか、リオンは気付いた。
「よけて!ユーリさん!」
矢が飛ぶ。ユーリが気付き、武器を構えなおそうとした。

 しかし、遅かった。矢は簡単に彼の軽装を突き、左胸を貫いた。

 声を発する間もなく、ユーリはぐらりと身を崩し、地面に倒れた。石畳に赤が広がる。
「ユーリさん……!」
リオンの頭から、一気に血の気が引いた。思わず駆け寄る。

 さっきまで生きて、笑っていた人が、仲間だった人が、こんなに簡単に死ぬものか。 きっとまだ息がある。いま手当てをすればもしかしたら。いや、きっと。
「リオン、駄目です!今は盾を!」
レイスの声に耳も貸さず、リオンは仲間のもとへ駆ける。 横たわったユーリの肩に手を置こうとしたその時。

 視界が揺れた。

 血の気の引いた白い肌色が。ユーリの服のベージュが。石畳に広がった赤が。傍らに生えた雑草の、茶と緑が。 色々な色が滲んで、溶けて、混じりあって、濁ったグレーの一色になっていく。
眩暈に似た感覚を覚え、思わずリオンは頭を抑えた。

 いったい何が起きたのか分からぬまま、気がつけば視界は安定を取り戻していた。

 地面に倒れこんだユーリの姿が、ふたたび像を結んでリオンの目に映る。 周りを見渡せば、夜の色に染まった見覚えの無い街が広がっていた。
 大通りの両脇に整然と並んだ家々。そのどれもが立派な造りをしており、高々と夜空へそびえ立っている。 リオンの前後に延びた通りは遠くで城壁へと伸び、その向こうには森に覆われた山が見える。 レイスも、困惑した表情であたりを見渡していた。
 さっきまでの廃村は見る影もなく、また、クラウンもどこかに姿を消したようだ。
「何、これ……」
「私にも、何が起きたのか……」
レイスはつぶやいた後、はっと気が付きユーリに駆け寄る。ユーリの首に手をそっと当てるが、数秒ののち離した。
そのとき、遠くで声がした。
「リオンちゃん!レイス!」
聞き覚えのある女性の声。ライラが、街の裏通りから姿を見せた。
 国軍魔導師団の黒い服装に、セミロングの赤い髪は良く目立つ。彼女は手の杖を振り、こちらに合図しながら駆け寄ってきた。
 駆け寄る途中で、ユーリの姿に気が付いたようだ。快活な表情が一転し、曇る。 「何がどうなってるの……ユーリは……?」
「ユーリは、クラウンの攻撃に倒れました……。その直後に景色が突然変わったのです」
「そう……」
仲間の訃報を聞き、彼女は視線を伏せた。

 一瞬の沈黙。
 仲間の一人は倒れ、敵は消えた。自分たちがいるところはどこなのか見当もつかない。 自分たちの身に起きている事象を、だれひとり説明できなかった。不安と思考を各々が脳内で巡らせる静寂を、ふと、リオンが破る。
「……とりあえずここがどこか、他の人に聞いてみませんか? 見た感じ大きい町みたいだし、誰かいるかも」
「……そうね。まずは情報収集しましょう。家は周りにいっぱいあるんだし、誰かしら居るでしょ」
「じゃあ、2階からうっすら明かりが見えるから……まずはあの家に」
リオンはそういうと、真正面の家を指した。


                 *


 ドアノブに手をかけると、たやすくノブは回った。
鍵がかかってないことを怪しく思いながらも、リオンはドアを開ける。と、むせ返る鉄のにおいが鼻を突いた。
「うっ」
「酷いニオイ」
女性二人が顔をしかめる。リオンはさっき嗅いだばかりのにおい。 明らかに、血のにおいだ。
 その横で、レイスはためらいもせずに室内へ押し入った。
「相当な量です。誰か負傷しているかもしれません。二人は二階をお願いします」
レイスに言われるまま、リオンとライラは二階への階段を上がる。

 においは一段ごとに、強さを増す。リオンの脳内で、ユーリの最後の姿がフラッシュバックする。 もしかしたら。最悪の光景を想像し、思わず最上段の一段手前で足が止まった。
 それを見たライラが、リオンの後ろから頭をなでる。
「よしよーし、ここまで頑張ったね」
わしゃわしゃと、二つに結んだ金髪がくしゃくしゃになるのもかまわずに、ライラは14歳の少女の頭をなでくりまわす。
「え、ちょっ! 何ですかいきなり」
「あとは、年上のおねーさんにまかせなさい? 怖いものは素直に怖いって言っていいんだから」
ぽんぽん、と仕上げに軽くリオンの頭に手を置き、ウインク。
 死と隣り合わせの、焦燥。そして、味方の死を間近で見てしまった恐怖と、無力感。 重たすぎる荷物を抱えている事は、分かりきっている。 リオンはこみ上げてきたものを堪えて、素直に頷いた。

 階段を上がって、ライラは右のドアを開ける。 そこは寝室のようだった。 室内のベッドの隅では、男性が床にしゃがんでがたがたと震えている。 足元には血だらけのシーツ。ベッドの上には、真っ赤に染まった子どもの死体。
 ライラの背中から顔を出し、リオンは息を呑んだ。最悪の事態が、起こってしまっていた。
 二人の姿を見た瞬間、男はビクッと身を引いた後に叫んだ。
「お、お前なのか!?」
「え?」
「お前だろう、娘と妻をやったのは!」
「あたし?」
突然指差しで怒鳴られ、ライラは怪訝な返答をする。男はよろよろと立ち上がった。
「どうやった?その杖で術でも使ったか? どうして娘と妻をやった!」
「待って、ちょっと落ち着きなさいよ!」
リオンも加勢する。
「そうです、私達あなたを助けたいの!」
「黙れ! いきなり……いきなりだぞ!」
「なにがいきなりなのよ!」
「シラを切るんじゃない! 娘も妻も、いきなりオレの前で真っ二つになっ

 瞬間。

 男の体に、縦に赤いラインが浮かぶ。頭頂から、定規で線を引いたように精緻な線だった。 赤いラインは一瞬で液体になり、あたりに鉄のニオイを撒き散らす。 そして、真っ赤な血しぶきを飛ばしながら、男の体は真っ二つに切断された。 左右にぱっくりと割れた男は、ベッド上の娘の死体に重なり合うようにして倒れこんだ。

 あまりに非現実的な光景を目の当たりにして、リオンとライラは絶句する。 体中の血の気が引いていく感覚。充満した生臭い鉄のニオイがそれに拍車をかける。
「……この光景、確か……」
ライラが震える声でつぶやく。その言葉を、リオンは聞き逃さなかった。

 ”確か”? 

 リオンがそう問おうとしたとき、後ろから階段を駆け上がる音が聞こえた。
振り返ると、レイスが切迫した表情で階段を駆け上がってきた。
「ライラさん、リオン!下の階で女性が倒れ……」
室内の光景を見たレイスは、そこで事態を察したらしく言葉を止めた。
「下の階でも、女性が一人、同じ状態でした」
おそらく、先ほど言っていた”妻”だ。 ”娘と妻”と言っていたから、この家族は全員亡くなったのだろう。

 自身でも驚くほど、冷静な思考をリオンはしていた。 レイスが来たことで安心したのか、それとも人の死を目の当たりにすることに自分が慣れすぎてしまったのか。

 どうしよう。この先、どうすればいい? 彼女は保たれている思考力を全力で働かせる。
 突然体が二つに分かれて死ぬなんて、魔法か何かを使わなければ出来ない。 ということは、この家族を無残な方法で殺した”誰か”が、きっと――

 くすくす、と、笑い声が聞こえたのはその時だった。

 3人がハッと顔をあげる。声がしたのは、窓際の方。 リオンたちがそこで見たのは、一人の少年だった。
 3人の視線を浴びながらも、少年は尚微笑を絶やさない。 年は10歳くらい。髪はショート。服装は長ズボンと、シャツにベスト。ごく一般的な普通の少年だった。 2つの点を除けば。
 彼は、まるでゴーストのように宙に浮いていた。 年下のような顔つきなのに、自分より高い目線で見られている。そのことにリオンは違和感を覚える。
 そしてもうひとつの点。 彼は、頭から靴の先まで、グレーに染められていた。 まるで白・黒・灰色の絵の具で描かれた肖像画のように、彼には”色”がまるで無い。

 明らかに普通ではない外見。そして、この凄惨な状況の中での笑顔。 3人は、あまりにも場違いな少年の様子に戦慄すらおぼえた。

 かすかに聞こえる、少年が嗤う声。それ以外は何の音も無い重たい空気を、レイスの一言が破る。
「ここから逃げます」
「えっ?」
「いいから、早く!」
そう言うや否や階段の方へ振り返り、走るレイス。
「ちょっと、待って!」
リオンとライラが慌てて追う。
 リオンが、階段を下りるライラに続こうとしたその時、後ろで声が聞こえた。
「君は」
思わず振り返る。

「君たちだけは、見えるんだね」
少年が、どこか憂いの残る笑顔で、リオンを見ていた。その右手は、こちらに差し出されている。
 リオンは立ち止まる。そして、意を決して少年の方に向き直った。 両手は、しっかりと杖を握る。臨戦態勢であることを相手に示す。
「あなたは、誰。おじさんたちを殺したのは、あなた?」
「知らないほうが君のためだと思うよ? ねえ……リオン!」
悲しげだった眼差しが、一瞬にして強い光を帯びた。 絶好の獲物を見つけたときのように、少年の表情はするどい笑みに変わる。
 差し出された手が青白く光ったのを見て、リオンはとっさに後ろによける。
 直後、右横の壁が見えない刃で切り裂かれたように鋭くえぐれた。
「動かないでよ!せっかく本気出してるのにさ!」
左手が、青く光る。

 ――もう一発、来る!
 また一歩後ろに避けようと下げた右足は、

階段を踏み外した。

少年の頭を、窓を、梁を、天井を視界が通り越す。 リオンの体は重力にしたがって、階段の上を急降下した。
 大きくて重たい衝撃のあと、彼女の視界は暗転した。


 
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