Jaune Brillant |
<←previous> | <next→> |
U-3 エミリアさんに絵の仕事を依頼されてから、一月がたった。 フレスコ画の事件のあと、僕は何事も無かったかのようにエミリアさんと目を合わせることが出来た。 もう、あの金色の瞳を見ても怯える事はない。 前と変わらず、穏やかな気持ちで彼女と向き合うことが出来た。 エミリアさんにフレスコ画のことを話したら、彼女は驚いて、そして祝福の言葉をかけてくれた。 ”聖堂の絵にあなたの色が加わってるなんて。とっても素敵”と。 そして今日、僕はまた件の聖堂へ足を運ぶ。 絵を描くためではない。絵を、納品するためだ。 ピエトロ司祭と約束の時間に会い、エミリアさんの肖像画を見せる。 完成した彼女の絵は、やわらかい日差しのような微笑を浮かべる。 司祭は絵をじっくりと眺めたあと、安堵のため息をついた。 「本当に良かった。一時期はどうなることかと思いましたが」 「エミリアさんが……彼女が、工房まで毎日足を運んでくれたおかげです。彼女がいなければ、 僕はこれを完成させることは出来なかった」 エミリアさんが工房まで足を運び、元気付けてくれなければ。 僕はもう一度聖堂まで足を運ぶことはなかっただろう。 画家としての義務感もあった。しかし今思うと、エミリアさんの絵だからこそなんとしても完成させたかったのだ。 司祭は言う。 「何故、私があなたに依頼をしたのかエミリア様からお聞きになりましたかな?」 「いいえ」 「彼女には貴族のご友人がいましてね。そのご友人の肖像画をいたく気に入っていたのですよ」 まさか。 「その肖像画の持つ雰囲気や、温かみが好きなのだと。それを描いたのが、あなただったのですよ」 じゃあ、肖像画の依頼に僕を選んだのはエミリアさんだったのか。 僕は少し照れくさくなって、微笑した。 「彼女に、なんとお礼を言ったらいいか」 「直接言えばいいじゃないですか。今は、問題のフレスコ画を眺めていらっしゃいますよ」 「えっ」 彼女は席を外しているんじゃなかったのか。 驚いて顔を上げた僕に、司祭は笑う。 「納品作業に時間をかけるのもなんですし、エミリア様にご挨拶されてはいかがですか?」 実際、エミリアさんに言いたい事はいっぱいある。いても経ってもいられず、僕は司祭に一礼して席を立った。 「若いとは、実に良いものですなあ」 後ろでそんな声が聞こえた気がした。 * エミリアさんは、フレスコ画の下で絵を見上げていた。 あの絵はもう完成している。 女神が扉を背に立ち、3つの世界に神託を下す様子が描かれている。 似たような題材の絵は過去に何枚も描かれているが、これほど大規模なものは初めてなのだと。 女神と良く似た後姿に、僕は呼びかける。 「エミリアさん」 はっ、と彼女は振り返る。 その金の瞳は、大きく見開かれて。 「マクベインさん? どうしてここに」 「……絵の納品に」 「そう、あの絵はとうとう完成したんですね。おめでとうございます」 「いえ。エミリアさんがいなければ完成はしませんでしたよ」 そういうと、彼女は首をかしげた。 「え、でも題材となる方がいらっしゃらないと、そもそも肖像画は描けないでしょう」 「そういう意味じゃあありませんよ」 声を上げて笑った。彼女は鈍感なのか、たまにこういう発言をする。 そういうところがあどけなくて、かわいらしいのだが。 ひとしきり笑うと、僕は改めて彼女に向き直った。 「とにかく、ありがとう。あなたが支えてくれなかったら、僕はもしかしたら二度と絵筆を握れなかったかもしれない」 エミリアさんはキョトンとした顔をしていた。が、その顔はしだいに微笑みに変わった。 「私こそ。あなたみたいな素敵な人に出会えて、本当に良かった」 その表情を見て、僕はすこし動揺した。 色白の肌に、うっすらと上気したような赤が差している。 彼女は顔を赤らめながら微笑んでいた。 いつもの彼女の表情ではない。何かが明らかに違う。 彼女は僕とばっちりと目を合わせ、うっとりとしたような表情で微笑み続けるのだ。 なんだ、何だ。彼女はいったいどうしたんだ。 「お世辞が得意なんですから」 とりあえず視線を逃がしつつ、僕は言った。 「お世辞じゃありません。司祭から、絵の依頼の話は聞いたでしょう?」 聞いた。確かに聞いたが。 なんで彼女の顔は赤いままなんだ。 それより、何で僕はこんなに落ち着きがないんだ。 気がつくと、僕はまた目をそらしていた。 父の姿がフラッシュバックしたからではない。 どちらかというと、あの雨の日の感覚に近いが、それとはまた違う。 彼女の金の目を見つめられない。 自分の変化に動揺しながらも、僕はふと気がついた。昔感じたことのある、この感覚。そうか、これは―― そして僕は、理解した。彼女に対する感情の変化に、気がついてしまった。 ひと呼吸おいて、僕は彼女の名を呼ぶ。 「エミリアさん」 「はい」 彼女は少し緊張した顔つきで、僕を見つめる。僕も、高鳴る鼓動を抑えながら彼女の眼を見つめた。 嫌な汗をかいている。彼女と始めて会った日と似ていて、だけど少し違う緊張感。 絵の仕事は終わった。もう、僕は彼女と会う理由はない。 だけど―― 「エミリアさん、僕は――」 |
<←previous> | <next→> |
・ Story-Top ・ Home ・Index |