Jaune Brillant
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U-1

 翌日。エミリアさんはいつもどおりの時間に僕の工房までやってきた。
「おはようございます。良いお天気ですね」
彼女はいつもと変わらず、穏やかな微笑を浮かべる。
「今日は私お手製の料理を作ってきましたの。お口に合うかどうかは分からないけれど」
そういって、彼女は包みを広げる。 なるほど、たしかにこれは消し炭だ。何の料理なのか、さっぱり分からない。 色は真っ黒、形はグズグズ、匂いがまったく無いのはいったいどういう原理なんだ。

 そんな消し炭……もとい、料理から視線を彼女に戻す。 金の瞳と目が合った瞬間、僕は咄嗟に視線をそらした。あの雨の日のときとは別の理由だ。
 彼女の目を見ると、思い出してしまうのだ。フレスコ画。大聖堂。父の視線。燃えて壊された僕の作品。

 まるで心臓をつかまれたかのように、萎縮してしまう。
 駄目だ。彼女相手に萎縮する必要なんてないのに。 それでも、心は言うことを聞いてくれない。
「……すみません」
僕は小声で言った。
 女神の血を引くといわれる、金の瞳。僕はそれを見つめることが、できなかった。



                       *




 それからというもの、彼女は毎日定刻ぴったりに僕の工房に訪れてくれた。 そして、いつまで経っても彼女と目を合わせない僕の様子を見ては、労いの言葉をかけて何もせず帰っていく。

「あなたが描けるようになる日を、ずっと待っていますから」
と。

 自分が情けなかった。
 勝手に親元をはなれ、勝手に独立した半人前ではあるが、それでも僕は画家だ。 自分の都合で絵筆が握れないなんて、賃金を貰っている身としてはありえない。
 描ける、描けないではない。描かなくてはいけないのだ。 そんな義務感と、絵が描けない焦燥感に僕は刈られた。

 そして、父との諍いがあってから丁度7日目のこと。 僕は聖堂へと足を運んでいた。

 彼女は、今日もまた聖堂での仕事があり工房へは行けない。 だが、僕はカンバスに向かわない自分をどうしても許せなかった。 5分でもいい。彼女と向き合って、絵筆を握らなければ。 そうしないと、もう永遠に自分はこのまま進めない気がした。
 聖堂の入り口を通ると、嫌でもあのフレスコ画が視界に映る。 今日も画家たちは天井に自らの絵筆で色を乗せている。 その中に、彼の姿もあった。

 父は女神の髪の部分を担当している。黙々と、暗い金の絵の具で細く、長く、繊細に影を入れていく。 独特の絵筆の持ち方は、今でも変わらない。5本の指全部使って絵筆を握る。 傍から見るとまるで不必要な力を込めて描いているように見えるが、父の画風はどちらかというと繊細なほうだ。

 下にいる僕どころか、隣の仲間を気にかける様子も無い。完全に集中している。 父は絵に視線を置いたまま、辺りを手で探っている。別の絵筆が欲しいのか? 左手が絵筆に当たる。と、筆は作業用に組んだ足場から半分飛び出した。今にも落ちそうだ。
 父はあわてて、それを掴もうとして――バランスを崩す。

 父の半身は宙に踊り出し、両足が足場から滑り落ちて……

 彼は真っ逆さまに、僕の目の前へと落下した。


 
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