Jaune Brillant
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T-4

 あれから、2日たった。 おとといの雨がまるで嘘だったかのように、日差しがさんさんと降り注ぐ。 外は暖かい。いや、むしろ暑いくらいだ。 大荷物を抱えているせいなのか、日ごろの運動不足で体力を余計に消耗しているだけなのか。

昼前のやや閑散とした街中。人はまばらで、それぞれがそれぞれの目的地へと歩く。 そして、僕もそうだった。目的地は、建設中の聖堂だ。

 どうしても外せない仕事が出来てしまい、彼女は聖堂を離れられないらしい。 だから今日だけは聖堂まで来て作業を進めて欲しい、との事だった。 聖堂に行くくらいなら、その日の作業は無しにしていただきたい…… と思ってはいたが、彼女と司祭にそれを言えるはずも無かった。

 聖堂に着いた。外観とはうって変わって、中は思ったより大きい。天井が高いからか。
聖堂というと、物音一つしない静まり返った空間をイメージさせる。が、建設作業中の聖堂ではそうも行かない。 建物に反響し、柔らかな物音が絶えず上から降りてくる。 見上げると、製作途中のフレスコ画に黙々と筆を入れる画家たちが遠くに見えた。
 人数は8人。良く見えないが、何れも若い男のように見える。 見知った背格好の人物はいない。流石に知り合いの画家はここにはいないか。

 エミリアさん達を待たせてはいけない。約束している部屋へ向かおうと足を出した、その時。 廊下の角から、よく知った顔の画家が現れた。
 白髪交じりの髪。深い皺。鋭い目つき。いかつい肩。絵の具とマメだらけの両手。 相手も僕の姿を捉えて、はっと目を見開いた。僕たちは立ち止まる。

 なんでだ。なんで、あいつがここに。カンバスを抱える手に、思わず力が入る。

 お互いがお互いの姿を見て、硬直していた。すると、僕のはるか後ろから若い画家の声がした。
「あっ、マクベインさーん! そこに置いてある絵筆、取っていただけませんかー!?」
もちろん、呼ばれたのは僕ではない。目の前の男にだろう。
 男は返事をしない。 ……と思ったら、彼はいきなり怒号を僕の後ろの画家へ飛ばした。
「うるせえ! 今取り込み中なんだ、自分の筆くらい自分で取れ!!」
 相変わらずの迫力だ。 若い画家はそれに押されたのか、あとで取ります、なんていってそそくさと逃げた。 まあ、無理もない。
 若い画家を追っ払うと、目の前の男は僕をキッとにらみつけた。久しぶりだ、この視線は。何度経験しても慣れない。 すくみ上がるような、威嚇の視線。背筋が硬直して、僕は微動だに出来ない。
「なんでてめえがここにいやがる? 宗教画は描かない、とか青臭いことほざいたのはお前だろうが」

「関係ないだろ、父さん」
父さん、なんて呼ぶのは不愉快だ。 だけど画家として独立する前は、こいつを”師匠”なんて呼んでいた時期もあった。

 いま思うととても馬鹿馬鹿しい。 父親の工房にいた頃の僕と、今の僕は違う。 負けじと僕も目の前の男をにらみ返す。
「それより、やっぱり宗教画を飽きもせず描き続けているんだね。相変わらず普通の人物画は描けないのか?」
「碌な作品一つも完成させねえで、ベソかきながらうちの工房でてった奴に言われる筋合いはない」
「僕は完成させていたじゃないか!」
僕は声を張り上げた。

 思い返すだけでも気分が悪くなる。
 作品を描いては”構図が悪い”と指摘され、
 書き直したら”色がよくない”と批評され、
 やっとの思いで完成させたら”絵への愛情が足らん”と非難され。

 燃やされた絵は、数え切れない。割られた彫刻だって、何十何百とあるだろう。 フレスコ画にいたっては、僕が書いた部分の漆喰をすべて剥がされた。さぞかし大変な労力だったろう。

 そして、父は宗教画以外の題材を描くことを決して認めなかった。 風景画、静物画、一般の人間の肖像画。それらを描くことを、父は決して認めなかった。 もともと父は宗教画家として名の通った画家だからだ。子どもにも、自分と同じ道を辿らせたかったのだろう。
 しかし、それは失敗に終わった。耐え切れなくなって、僕が父の工房を飛び出したからだ。 作品を否定するときの父の目つきは、忘れたことがない。 威嚇し、拒絶し、冷徹な視線。
僕はいま、それと対峙している。
「とりあえず、そこを通してくれないか。僕は別の仕事で来ているんだ、そこに立たれると邪魔なんだ」
父は何も言わない。やがて、視線を一瞬僕のカンバスへと見やったかと思うと、彼は突然ひったくった。

 反動で、一緒に抱えていた画材が床に落ちて散らばる。 僕の両手は一瞬で空っぽになった。
「何するんだ!」
父は黙ったまま、カンバスにかけてあった布を取り払った。
「おい、やめろ!」
僕が止める間もないまま、絵は父の前に露になる。

カンバスの中のエミリアさんと、父の視線が合う。 しばらく父はそれを見つめた後、僕に絵を突きつけて返した。
「……さっさと行け」
「言われなくても、そうするさ」
床の絵筆を拾おうと、僕はかがむ。視界の隅に、白いローブの裾がうつり込んだ。

 エミリアさんだった。 彼女は戦慄と驚きの混じった顔で、こちらを見ていた。 彼女の顔が、さっと青ざめる。それは僕も同じだった。
 見られた。 見られてしまった。父親との確執を、エミリアさんに見せてしまった。
「エミリアさん」
冷静になれ。 自分に言い聞かせながら、声を絞り出す。

「申し訳ないです、こんなお見苦しいところ――そうだ、もう約束の時間でしたね、わざわざ迎えに」
「マクベインさん」
僕の言葉をとめた、エミリアさんの声は驚くほど冷静だった。
「今日はもう、お帰りになって」
「で、でも」
「いいから。 そんな様子では、絵筆は握れないでしょう」
ようやく、僕は気付いた。 僕の両手は、震えていたのだ。
「明日、そちらの工房へお伺いしますわ」
エミリアさんはそういい残すと、背を向けて去っていた。

 やっと思いで立ち上がると、父はもういなかった。


 
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