Jaune Brillant
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T-2

 最初に抱いていた不安は一体なんだったのだろうか。 予想よりもはるかに順調に、筆は進んでいた。
 右手では絵筆を進めながら、口では沢山彼女と話をした。 趣味、仕事の内容、好きな色から昔飼っていた動物まで。
 僕は肖像画を描くとき、なるべくその人と話をしながら人柄をつかむようにしている。 そちらの方が、その人の性格や雰囲気を反映した絵になるからだ。

 彼女の柔和な笑顔と穏やかな声のせいか、段々と絵の表情は優しく温かみを帯びるようになってきた。 ……良い仕上がりになりそうだ、そう確信した。


             *


 製作に入って3日目。この日は久々に雨が降った。季節は春を迎えたばかりで、雨が降ると一気に冷え込む。 絵の具の下準備をしながら、暖炉に薪をくべていると戸口からノックが聞こえた。 ドアをあけると、そこにはずぶぬれの彼女と司祭が立っていた。
「ごめんなさい、遅くなってしまって」
頭を下げる彼女を、僕はあわてて止める。
「いえいえ、この雨ですから無理もないですよ」
 机の上のタオルを咄嗟につかんで、彼女に渡す。司祭の分も必要だろう。奥の部屋から取ってこなければ。
「とりあえず、お二人とも暖炉の前へ」
「申し訳ございません」
司祭はそういうと、彼女と暖炉の前へ座った。

 二人が髪と服を乾かす間、僕は手持ち無沙汰になってしまった。 髪と服がぬれた状態で、カンバスの向こう側に座らせるのはあまりにも酷だ。 しかし絵が描けないからといって、二人を追い返すわけにもいかない。

 そうこうしている内に、時間は昼時へとさしかかろうとしていた。 どうしようか、と考えていると。
暖炉の方から腹の鳴る音が聞こえた。 どちらのものか、あえて追及は――
「……エミリア様」
司祭があきれた口調で隣の女性を見る。彼女は顔を真っ赤にして、しばらくすると。
「司祭様、どうしてそこでお言いになるんですの……」
「え?」
「マクベインさんには知られたくなかったのに」
そこまで言って、ようやく司祭も合点がいったらしい。
「あ、も、申し訳ございませんエミリア様」
そんな二人のやり取りを見て、思わず笑みがこぼれた。
「僕、なにか作りましょうか」
一人暮らしだから料理は手馴れている。1人分の昼食が3人分になったところで、大して変わらないだろう。
「いいえ、そんなお手数はお掛けしたくありません」
彼女は首をぶんぶん横に振る。さっきの羞恥心が残っているのか、心なしかリアクションが普段より大きい。 かわいらしい。 彼女は続ける。
「それに、料理なら私も作れます。貴方にこれ以上のご迷惑はお掛けできません」
「ちょっとお待ちください!」
突然、司祭が割り込んだ。その形相は必死だ。普段は穏やかな司祭が、珍しく表情を変えている。
「エミリア様、今あなた『料理なら作れる』と仰いましたね……?」
「え、ええ」
「なりません! あのような消し炭を料理と称しては!」
「ひ、酷いわ司祭様。私あのときは頑張って作りましたのに! ただちょっと火加減を間違えただけで」
「私とマクベイン殿の胃を壊してはなりませぬ」


 なるほど。 たまに料理が出来ない女性を笑い話の種として聞くが、彼女もそうだったのか。 司祭が顔つきを変えてまで止めるほどの料理を拝見してみたい気はやまやまだ。 しかし、体調を崩しては折角の大仕事に差し支える。
「僕、作ってきますね。お好きな食べ物はありますか」
彼女は狼狽した顔で、僕と司祭を交互に見比べる。 司祭の顔は変わらず、厳格な表情だ。対して、今の僕はいったいどんな表情をしているのだか。

 やがて、彼女の中で何かが折れたらしい。情けない、申し訳ないといいたげな顔をして、
「……お任せ、致します」

 こうして、僕と司祭の胃袋の平和は守られた。


 
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